VIII 自由記述より
1 自由意見欄
 1.1専業非常勤の声
 1.2定年後型非常勤の声
 1.3大学外常勤職のある非常勤講師の声
 1.4大学専任教員の声
2 専任教員に伝えたいこと (自由記述)
 2.1専業非常勤講師の声
 2.2定年後型非常勤講師の声
 2.3大学外常勤職のある非常勤講師の声
 2.4大学専任教員の声
3 大学事務当局との関係、連携の状況について具体的記述
 3.1専業非常勤講師の声
 3.2定年後型非常勤講師の声
 3.3大学外常勤職のある非常勤講師の声
 3.4大学専任教員の声

たくさんの方が非常勤講師の切実な思いを綴ってくださいました。個人を特定しうる情報、固有名詞、プライヴァシーにかかわることは削除させていただいたうえで、この貴重な非常勤講師の生の声をそのまま掲載します。また、専任教員や大学事務当局に対する意見も合わせて掲載します。
1 自由意見欄
1.1 専業非常勤の声
◆知人に突然、非常勤をクビになった人がいます。何の予告もなく、カリキュラム改革のためという一方的な通知で。彼は生活できないと青くなっていました。 (非常勤の人です) 曜日の変更やコマ数を減らしたりすることに関しては、あらかじめ何らかの打診があってしかるべきだと思います。
◆奨学金の返還問題を解決すべきである。
◆正教員への道が狭い→非常勤に甘んじる→社会保障、退職金、年金は一切ない⇒その上、奨学金を返済しなければならない。因みに私は62才の冬、ようやく奨学金の返済を終了!この何重もの不公正は何日迄放置されてゆくのでしょうネ。
◆大学に非常勤として勤めはじめてわかったことだが、いかに大学という教育機関の内実がおそまつなものかということだ。非常勤をこのような低賃金で使いすてカイロのように雇う、 (しかも大量に) 以上、大学の授業の改善など、構造的にあり得るはずがない。戦後の労働史上、最もたちおくれているのがこの大学という組織。その現場にいて、組合こそが、その活動こそが求められていると知りつつ、加入できない、そしてこのアンケートも名前を記入することができないのは、「組合に入ると、専任になれない」という話が現にあるからなのです。 (アンケート編集部:組合執行委員で専任になった人は複数でておりますよ。)
◆学生集会で出た教員への意見・要望など、学生の"生の声" を教員に届ける方策を大学当局は考えてほしい。
◆本来、大学が文字通りのユニバーサルな研究機関として存立しているなら、非常勤講師という存在はないはずだ。結局、非常勤問題がここにきてクローズアップされてきた原因は、大学が国、社会 (産業界)、大学がそれぞれ全く共通点のない部分で存在してきてたまたま、高度経済成長期からバブルくらいまでは、うまく行っているように見えてたものが崩壊したにすぎない。大学の数>大学院進学者数から、大学の数<大学院進学者数 (これは文部省の何の展望もない、大学院政策がもっとも根底な問題としてあるのだが) への変化や、特定大学によるブロック化等がそれである。こうした点が、解消され、国からの (正当な) 補助を (私立大学まで、憲法をきちんと改定しても) 行えるようにし、大学と社会が、大学というものの意味をきちんと理解しあわなければ、結局現在のようないびつな制度が継続してゆくことになろう。また、学生数が減るから、じゃあ大学 (この場合私立しかあてはまらないが) をつぶしていいという議論にはならない。こういう時代が来ることは少なくとも10年くらい前にはとっくにわかっていたはずだから、それに対する方策が、結局どの方面からも明確な解答が出されていないものも問題だ。結局、その被害にあうのは弱小の私立大学であり、そこでは経済原理しか働かなくなる。いきおい、私立大学が、そうした方面で打開策に打って出るのは当然の成りゆきで、学力低下などは、その一端でしかありえない。この点を見誤まれば、将来に大きな禍根を残すことになろう。
◆大学当局は非常勤講師に対し、「触らぬ神にたたりなし」という姿勢で臨むし、非常勤講師も大学に対する待遇の改善を半ばあきらめている。こんなことを言ってもあまり意味はないが、非常勤講師にとっての唯一の救いは講義を聞きに来る学生たちだ。
◆非常勤講師は当然研究者であるわけだが、その研究がないがしろにされ、著作権など軽んじられていることがままあるようだ。私自身、ある私大の専任教員に書いたものを盗用され、非常に不快な思いをした。そのことでいろんな方に相談したりもしたが、「よくあること。いちいち騒ぎたてるほどではない」という空気が支配的だった。まさに「よくあること」だとすれば、こんなふうに非常勤の研究者の研究成果が埋もれてしまっていく事件が、世の知らないところで日本全国にどのくらい起こっているんだろうと考えると、寒々したものをおぼえる。
◆「京滋私立大学非常勤講師組合」の存在を初めて知りました。どんな活動をなさっているのか関心があります。もしよろしければまたお連絡下さい。現在、家庭内のトラブルがあり、独立したい気持ちがあります。しかし、非常勤職では生活費がなくなるし、研究費をなくしてはますます専任への道がなくなってしまう。大学での教育活動と研究活動は私の夢でした。しかし、こういう現状に立つと生活の方を中心に考えざるをえなくなり、結局、研究も非常勤もやめてもっと安定した職につくことも考えざるをえなくなります。女性研究者や研究という活動に対する社会の理解は低いため、こうした家庭内のトラブルも私だけでなく、他の場合にも起こりやすいのではないでしょうか。
◆現在語学教師として週15コマ出講しております。年収は概ね5百万程度 (翻訳等の印税なども含めた金額です)。出勤日が一年の4割程度 (私の場合) であることを考えれば、まあこんなものかと思えないこともありません。かつ配偶者が常勤の教諭をしており、今のところ、生活にさしたる不安はありません。ただ、住宅ローンを抱えていることもあり、夫婦のどちらかが健康を害しでもしたらと考えると、かなりの不安を覚えることも事実です (収入の道のない親に送金を行ってもおります)。国民健康保険、年金、生命保険の掛け金、奨学金の返済 (月3万円弱) など、出ていく金も結構な額です。また、他の人のことは分かりませんが、少なくとも私にとり、週15コマの授業は、授業準備、日常生活、精神衛生等様々な点で支障を来す、過重なものに思われます。ウィークデーは翌日の授業の準備や家事―もろもろの事情から家事の8割程度は私が担当しております―に追われ、研究時間はおろか、のんびりと体を休め、趣味に割くような時間すらありません。土日の二日間の休日にはまとめて本を読むようにするなど努めてはおりますが、事実上講義期間中にまとまった勉強をするのは無理な状態です。それどころか講義期間中は、十分な睡眠さえままならないような状態です。専任職に就く希望もまだ持っておりますが、今後非常勤講師でずっとやって行くにしても、もう少し余裕と長期雇用についての安心感を持ちたいものだと思います。現状を顧みて考えますと、余裕を持って日常生活や授業準備を行えるコマ数は、週10コマ以下ということになろうかと思います。理想をいえば週8コマ程度で35万円程度の固定月給が得られれば、かなり楽な―教育と研究を両立させやすい―環境になるのだが、などと考えております。
◆大学は教員に「教授法」を身につけさせることを考えなさ過ぎ。補助教材作成に予算を与えて欲しい。外国で説明しても解ってもらえない日本独特の非常勤講師原則全廃!
◆これだけ、日本の大学教育が非常勤講師に頼っているから、ここまで非常勤講師の労働条件が劣悪なままで何の改善もされる気配もないのは文部省の怠慢であると言える。私学共済にも入れずボーナスもなく一方的にコマ数が減らされることもあり、1人前の労働者として扱われていない。専任の採用システムについても前述のとおり、ポーズだけの公募が当たり前のように行なわれ、強い縁故のある人のみが、優先的に専任のポジションを得ていく。私は2つの大学で教えながら、大学院にも通い、仕事と研究の両立で大変多忙な毎日を送っている。時間のない中、応募書類を徹夜で作成し、出しても面接されることもなく通り一ペンの文面でかえされてくる。返されるたびに、大変落胆し、あせりもし研究意欲、労働意欲さえ、そがれてしまう。何とか気を取り直し、前向きに行こうと自分を励ましつつ、安定した身分を得ようとがんばっている。非常勤講師は生活の為、多くのコマ数を持つことを余儀なくされ、限られた時間で専門分野を研究し、論文を書き、学会でも発表している、にもかかわらず、大学内で落ち着いて研究できる場所さえ与えられず、研究費もなく、学会の参加費、旅費の支給もない。専任教員との待遇の格差があまりにも大きすぎる。専任でありながら何年も論文を書いていない人は、専任をはずされるべきである。雇用者側も非常勤の少しでも仕事を取ろうとする状況につけ入って、期限を決めてできるだけ安い条件で、多くの仕事を課そうとしている。期限が来れば普通の非常勤より少しだけ有利であった条件も、取り消される。まさに使い捨てである。カリキュラム改革の下、今まであった英語のコマ数が大幅に減ると発表された。ということは、近々解雇すると言われたと言うことである。あまりにも私たちの存在を軽んじた所行である。このアンケート作成に関わって下さった皆様に感謝致します。貴重な時間をさいて準備また集計にたずさわる皆様ありがとうございます。
◆若い頃は、給料は安いけど、気楽に仕事をしていたような…大学生にも、それなりの "知性" と "教養" があり、大学をでれば、なんとか仕事もあり、若者は本格的には、企業が育ててくれる時代でした。今、時代の急激な変化で、大学生といえどもまるで子供。大学をでても仕事はないというか、仕事ができるような成熟にまで達しない。企業も育てている時間も、余裕もない。そんななかで、大学の非常勤職も、管理がつよまり、また負担が増えています。なのに、学生数が減少、コマ数が減ることによる雇用不安をかかえて、ストレスがつもっているというのが現状でしょう。日本の高等教育の惨状を象徴するのが、この非常勤問題だと思っています。語学教育でいえば、いまだ、40名以上で授業やっていて、多少の改革などは、とてもまにあいません。へたにコンピュータを導入したり、管理しようとする前に、少人数クラスをつくり、きめこまかく学生に "人" が対応すべきではないかと思います。コマの減少どころか、もっともっと、クラス数を増やしてゆくべきです。人件費をケチる前にやるべきことはいっぱいあるはず。機械にとってかわれるなら大学なんて必要ないです。
◆せめて健康保険だけは、非常勤で行っているどこかの大学でかけてもらえると助かるのですが。労働省、文部省は、非常勤が健保、年金なしで働いているということを知らないのでしょうか。性差別、年齢差別は毎秒単位で全大学においてある。 (差別があるかどうか問われるだけで吐き気がする。)
◆先日試験のため学校に行ったが、入試の準備の為、控え室でゆっくりできる状況ではなかった。事前に連絡する、他の部屋を用意するなど、充分な (精神的にも) 教育ができる環境を常に整えてほしい。これは、学生にも少なからず影響を与えることであるので。講師にたいする配慮ももっと必要であると考える。
◆情報 (各分野の文部省通達についてとか) はどんどん教えてほしい。専任は苦手な (自分達がやる自信がない?) 授業は非常勤にやらせて自分 (達) は逃げるというような卑怯なやり方は採らないようにすべきだ。地道に努力して力をつけるべきだ。 (私もスタートはひどいひどい学力だったが地道な努力は続けた!だからその授業もやりこなした!) 非常勤の世話役にあたった専任はきっちりとその仕事をやってほしい。最低すべき事 (来年度の出講日の希望を聞くとか) さえやらない人がいる。それでもその専任に「ありがとうございました」と頭を下げて言ったのはばからしかった。賃金体系の公表や年金・健康保険のことは至急考えてほしい。ネイティブスピーカー、外国人講師の状況は日本人の非常勤よりまだひどい感じがする。一度こういう人たちのみ無記名で実情調査を行ったらどうですか、国際化の第一歩になると思います。日本人は「和をもって尊しとなす」や「寡黙」を美徳とし、それも全くすばらしいことだと思うのですが、逆に外の人たちにはいつまでたっても鈍感。説明が全く無いとか不十分。契約という考え方が実際は (特に大学において) 不十分だと思います。しかしかく言う私が国際化され、外国人講師から好かれているわけでもないので (嫌われてるかもしれない私のこういう考えをネイティブスピーカーや外国人講師がどう思っているかわかりません。専任の批判を一杯書きましたが実際は良くしていただいた事も多く、お礼を言うべきことも多いです。交渉の場があると、非常勤として一方的にみた専任という像ができず、専任の苦労とか個々の専任がどれほど大変な問題をかかえているのかわかってくるかもしれません。
◆私のケースはあまり一般的でないので参考にならないと思います。私は配偶者の収入が生活全部を支えるだけは足りている状態で、かつ、働けば働くほどむしられるだけの非常勤講師の現状に、ある時期から働くのをやめようと決意し、今は2コマだけしか働いてないのです。もちろん配偶者の収入があるとはいえ、私が働いて収入の多い方がよいのでしょうが、金より時間の価値を重視することにしました。研究も、ある時期までは一定期間毎に論文を書かねばとあせっていましたが、人事は論文で決まらず、就職した人も大した仕事はしておらず、今さら人のペースに合わせる必要もないので、全くマイペースに徹しています。ですから、このようなアンケートのサンプルとしては全く不適切なケースです。ただ私は現在のような大学の専任と非常勤あるいは特任などといった区別は、全く人件費を安くあげようという雇用者側の利にのみ沿った制度で、これを批判する姿勢が専任教員の中からは起こらないことに (例外はありますが)、現在の大学の病巣が見て取れると思っています。少子化や独立行政法人化で大学が倒れるのなら、それもやむなしではありませんか。
◆非常勤の単価賃金が上がり、健康保険、年金等にパートなみに加入できて最低限の生活が保障されれば (私の場合、年収450〜500万くらい週10コマ以内で) 必ずしも専任になれなくてもよい。そして、とにかく研究時間が確保できることを切に望む。 (研究したいテーマがたくさんあるが、時間がない!) こんな長い詳しいアンケートは作成するのに時間がかかるので、もっと簡単なアンケートにして下さい (簡単なのを、何回かに分けて)。語学より専門の講義の方が、学生数も価格、準備や成績評価に時間がかかるので、報酬を考慮してほしい。
◆学生や保護者、一般の人たちにも大学教員の実態を知らせる必要がありますね。大学の自治や改革をとりあげているようなメディアにレポートを送ってはどうでしょう。
◆学生や親たちは、大学で教えてもらっている教師はすべて専任 (専任、非常勤ということばさえ、彼らは知りません。) の講師、助教授、教授と思っている人が大方だと思う。しかしながら現実はどの大学、短大においてもその大方が非常勤で、学生の中には4年間の間で一度もその大学の専任教師に教えてもらったことがない人もいると現実に某大学の専任教授が言われていました。こんなことでいいのでしょうか?非常勤講師は生活事情が厳しい中、無理を押して教育に従事しています。すなわち良き教育環境の余裕なく教育の現場に立っているのですが、学生が可哀相だと思うのです。もちろん非常勤講師もやりきれません。学生たちに親われ尊敬される非常勤講師の人たちはその学生たちのケアにも時間外での指導にも表面には出さなくとも非常に無理をし私費を使って教育指導しています。このことを大学側や専任教員にわかってもらいたいです。
◆育英会の奨学金は教員になれば返済を免除されるが、大学非常勤講師は免除職として認められていない。5年間に専任職につけなければ、6年目以降はなけなしの給料からかなりの額を毎年返済しなくてはならない。専任が日頃の高給 (?) に加えてボーナスをもらう時期、非常勤は金のやりくりをして奨学金を返済する。教育への貢献というのならこれほどの薄給、無権利状態で、専任と同じレベルの授業を供給させられる非常勤の方が、よほど貢献しているではないか。この問題は是非、文部省に訴えたいと思っている。
◆大学職員の待遇に関して思うことがあります。現在殆どの大学は沈滞しきっています。学生は勉強しない。教授は授業を真剣にやらない。職員は上からの指示に従うだけで自らは何一つ判断しない。これは恰も当然のことであり、暗黙のルールであるかのように墨守されています。そのくせ、少子化だの何だの言って減収の予感には過敏に反応して狼狽しています。そして、因循姑息を旨としている大学、つまり思考力を持たない当局は取り乱した結果、支出減らしの対象として臨時職員から解雇しようとしているのでしょう。組合執行部が大学当局と交渉する際に、経営者としての当局に考え方の転換を促して欲しいと思います。経営を考えれば、当然のこと収入の増大と支出の縮小が問題になります。ところで、支出を減らすならば、これ又当然のこと不要・不急の部署から整理してゆくものです。大学の人件費に於いて最も浪費をしている箇所といえば、専任教員以外の何物でもありません。勿論個々の例外はあります。しかし、全体的に見れば、専任教員の給与に手を付けず他の部分をどういじっても多寡が知れています。ところで、教育機関としての大学に不可欠なものの第一は授業です。大学が大学として存在する為には授業を捨てることは出来ません。もし、大学という機関の運営に優先順位を付けるならば、授業は第一位であり、大学の歳出に優先順位を付けるとすれば、授業にかかる経費を第一に捻出すべきものです。しかし、今の優先順位は、何が何でも専任教職員の給料は先ず第一に取る、そして幾らかの残金があれば次に施設の維持費・拡充費、対外交流費に回し、それでもまだ残金があれば、臨時職員を雇って自分の仕事を減らすというものです。思考が始めから本末転倒しているのです。そこで、大学の教学に関する人件費を優先して支払うという発想を促せないでしょうか。当局が、「大学の命は教室での授業にある」という認識を持っていながら、先ずそこを分からせる必要があります。これからは、どんなに綺麗な校舎でも、どんな有名教授がいようと、どんなに交通の便がよくとも授業が粗末では学生は集まらない、仮に嘘で化粧して入学させることができたとしてもさっさと退学してしまう時代だと言うことを知らなければならないのです。高校に人買いを派遣して数集めをすれば何とかなる時代は過ぎたことを、当局も専任教職員も感じようとしていない事実を当局に分からせなければなりません。もし、当局が、個々の授業が命であると真に気が付けば、非常勤に対する待遇も自ずと変わってくるものと思います。現に学生相手の授業の相当数の割合を非常勤が支えています。それでも、経済事情が許さないと言うのならば、専任教職員の給料を減らすのが筋です。専任教員の雑用に対する代償が何百万円か等と解釈するのは筋違いです。私大が民間企業である限り、 (つまり無尽蔵にお上から補助が下賜されない限り) 経営努力をするのは当たり前で、その際には必要なものを残し、不要なものを切るのも当然のことです。大学当局が時代感覚を失っている理由の大きな原因の一つは、専任教員が教員を人選していることにあると思っています。大きな大学では、生命線とも言うべき授業を担当する教員・非常勤を採用するのに経営者である当局は関与せず、非常勤に至っては回り持ちの教務委員の教員が決めることもあります。黒字赤字を心配する経営者が、社員採用には無頓着などという会社があるでしょうか。これは経営者としての当局の怠慢の最たるものです。悪い言い方をすれば、働きの悪い社員がいるのを気にしないばかりでなく、その社員が更にまた働かない部下を引っ張り込んでも黙っている。そのくせ、節約と称して取るに足らないパートの手当を減らそうとするのと同じです。当局の姿勢が馬鹿でも役立たずでも無条件・無反省で専任を庇護し、そのしわ寄せを非常勤に押しつけようと言うのなら、その非を指摘すべきだと思います。授業に対して能力と熱意を持たない者は専任・非常勤を問わず教員を辞めねばなりません。そして、能力と熱意を持つ者に労働に見合った報酬を払うものです。専任と非常勤の一コマ当たりの格差がこのまま続けば、まともな授業をする非常勤が居なくなる心配をどうしてせずにいられるのか不思議です。もし、賃金に見合っただけの労働をしろと言うならば、半数以上の非常勤は自分は働き過ぎだと言うでしょう。賃金に見合わない労働をどうして続けているかと言えば、ただ「生き物相手だから」の一言に尽きるのです。病人を目の前にした看護婦や檻に入れられた動物を世話している動物園の飼育係がストライキをしないのと同じ事情です。その人情に甘え、利用し続けるのは卑怯だという自覚を当局に促せないのでしょうか。真に経営努力をして猶且つ一コマ2.5万しか払えないと言うのなら、非常勤の多くは納得するでしょうが、隣で碌な授業しかしていないのに数倍の報酬を受け取っていれば、労働意欲も無くなるということを解らせて欲しいと思います。くどくどと書きましたが、要は大学にとって授業が命で、それが全てであるということを真に理解して、授業担当者に対する待遇を考えるという姿勢を当局に要求して欲しいと言うことです。
◆専任採用システムに関して少しばかり述べさせていただきます。一般に、非常勤講師の就職が困難である理由として需給関係が第一に挙げられることが多い様に思われますが、これは本当でしょうか。大学の教員に欠員が生じた場合、ほとんどは内部で処理され後任の選考がどのように行われているのかは公表されることはありません。公募される場合も同様です。実際のところ、どのように人事が進められているのでしょうか。はっきり言って、日本の大学教員で試験を受けて採用された人はいないといっていいでしょう。彼らは論文の審査を受けて採用されたと主張していますが、皆さんもご存知のようにひとつ専門が違うと論文を読んでも理解することはできません。公募に送った論文の抜きずりが読まれた形跡もなくきれいなまま送り返されてきた経験はありませんか?本当に公正で厳格な審査が行われているのでしょうか?そもそも審査自体が行われているのでしょうか?努力して業績を積み上げていけばいつかは専任になれると思っておられる方にはショックかもしれませんが、大学教員の採用にあたって一番重要なのは、研究や教育の能力ではなく人間関係です。これは個人の努力というよりも多分に運不運にも左右されます。師事した指導教授に力があるかどうかは大きな問題です。教授と大学院生の関係は師弟制度のようなものですが、もし親方であるあなたの指導教授に力がなければ、たとえ教授の論文を引用してほめたたえても、研究室の掃除や引越しの手伝いをしても、あなたがどれだけ教授に尽くす (学問業界の専門用語?) よき弟子であったとしても、就職できる可能性はほとんどないでしょう。あと可能性として考えられるのは、所属する学閥がその大学に多くの教員を送り込んでいて未就職者の押し込みが効く場合や、親や親類縁者に大学の理事長や人事に力のある大学教授がいる場合くらいです。かつて大阪の公立大学に招聘された中国人教授が新聞のインタヴューで「中国もコネ社会だが日本の大学ほどひどくはない。これでは優秀な才能がつぶされてしまう」と語っていましたが、日本の大学研究者の世界には「競争」というものが存在しないのです。教員の採用に際しても、また教員となった後も競争は存在せず、したがってそこにあるのは、嫉妬、ねたみ、足の引っ張り合いなどドロドロした人間関係だけなのです。大学の教員がどれほど世間知らずで常識がないかは皆さんがよくご存知でしょう。では教員公募はどうでしょうか。教員人事のほんの一部だけが公募に出されますが、これとて同じことです。純正な公募など、まずありえません。人事が不透明という批判をかわすために世間体から公募が設定されるだけで、現実には採用される人間は最初から決まっていることがほとんどです。というより、ある人を教員にするために公募が設定されるというほうが正確でしょうか。私大の助手や講師の採用試験はほとんどこれです。出来レースですから何人応募しようとほかの応募者は審査の対象外です。有力な候補者が数名いる場合は、後ろ盾になっている教授や学閥による押し込みあいとなります。金がばら撒かれた例も私は知っています。結局、どんな手を使ってでも就職してしまえば勝ちなのです。専任の教員は、非常勤講師は能力がないから就職できないかのような発言をしますが、彼らが専任になれたのは決して能力などではありません。日本の大学教員の中で、コネ以外の手段で就職した人間は一人もいないといっても過言ではありません。私も、昔は毎年論文を書き、学会で発表し、雑誌に寄稿し、分担執筆ですが何冊か本も出しましたが、それらは就職とはまったく何の関係もありませんでした。論文一本も発表しなくても、就職する人は簡単に就職します。例をあげればきりがありませんが、そんな事例は身の回りにあふれています。理不尽といってもそれが現実なのです。要するに、マーケットが小さいというより、売れる可能性のある一握りの人間と、最初から売れる可能性のない労働力商品を抱えた圧倒的多数の非常勤講師がいるだけなのです。昔、大学院で教えてもらった教授と私の会話。私「先生、公募といっても採用される人間は最初から決まっているじゃないですか。」教授「まあ、そうやな。」『大学教授になる方法』の著者によれば「純正な公募が実施されたのは、過去に北海道でマスコミを使って行われた某大学の一例があるだけ」だそうです。この著者は運良く教授になれたせいか「これからは非常勤講師をしながら他の仕事をするのがこれからの非常勤の姿」などとのんきなことを言っていますが、現状では非常勤講師を続けることすら困難です。一方では少子化による学生数の減少と、他方では将来どうするのかと心配するほどの大学院の拡充。非常勤の権利を守る (既得権益にしがみつく?) ことは後からあふれてくる大学院修了者の非常勤講師の口さえ奪うことにもなるというジレンマもそこにあります。そして非常勤講師の口も能力ではなくやはりコネクションがあるかどうかで決まるというあいもかわらぬ現実。理想を言えば、学問の世界に競争原理が働き、競争に勝ったものが研究職につき、負けたものは速やかに別の方向で生活手段を得る、ということでしょうか。しかし大学院卒業時には年令から言っても方向転換は難しいうえに、学問の世界には自由競争は存在せず、大学の入学試験のように努力すれば報われるという保証はありません。そして次第に研究意欲を失いいたずらに年を重ねていくことになります。何か建設的な提案でも出来ればよいのですが、何も浮かんできません。無力感を覚えるほど腐った世界です。もし若い人に何かいうことがあるとすれば、学者の世界の仕組みを知り、早いうちに見切りをつけたほうが幸福な人生を送れる、ということだけです。
◆語学教師ですが、自分の研究、執筆などは大学の非常勤講師にとって趣味以上の意味が現実にあるのでしょうか (例外的にそのうち専任になれる場合を除けば)。また大学の「教養」部の存在、ひいては大学の初歩語学教師の存在はかなり問題。専任となるための予備軍としてのあるいは単なるプロの語学教師としての存在のはざまで矛盾を生きているわけですが。ヨーロッパでの試みに測して、むしろはっきり研究者と語学教師との二職種に分けて考えた方がすっきりするかもしれないと最近考えたいです。
◆芸術大学における実技指導授業の場合、学生にとっては、担当教師が専任か非常勤かの違いは大きすぎる。専任の場合、指導に必要な費用が確保され、又、学生をソリストにひきたてたりする権限を持つことで学生に対する影響力は計り知れない。非常勤の場合は、上記のこと (権利) 一切が無く哀れである。非常勤教員に指導を受けるどんなに優秀な学生でも、コンサート出演やソリストになるチャンスは与えられず、教育上の不平等は深刻である。良い教育・研究とはあらゆる教員が対等の立場、平等の扱いを得てはじめて実現出来ると思う。
◆非常勤講師組合のような組織が、非常勤講師の勤務の現状をまとめ職業安定所のように大学間の雇用調整に力を出してほしい。 (授業担当内容などを調査の上)。自分で各大学に採用願いを出すのではなく、採用のある大学の情報などを通知又、紹介するようなシステムを作ってもらえるとありがたい。
◆大学の非常勤雇用対策として、専任校をもつ者のコマ数を少なく、非常勤で生活する者のコマ数を増加させる。 (公平な扱い、平等な扱いではない。) 学問の府である大学自体が最も遅れた企業体質を存続できるところに、日本社会の欠陥がある、これを改善しなければならない。少子化社会で大学の閉鎖、合併が連続するだろう。そのとき、このような組合はどうするのか?どのような法律対策を講じるのか?国会議員を通して国会の場で大学非常勤の労働実態を問題提起させる。できれば自民党がよい。労組の主義、主張に関係なく自民党が良い。非常勤の私は有益な労組があっても、契約人事権が大学側にあるため、このような労組を教員集団の中で話題にすることもひかえるし、これに関心をもつことさえもあきらかにしたがらないのが現実。
◆私の担当は、器楽 (ピアノ) です。テキストは決まっており授業の準備という形ではしませんが、自分の勉強として、時間やレッスンについやします。直接、授業に関わる準備をしなくてよい、という点で、他の教科の先生からよく嫌味を言われるが、互の足をひっぱる言動が、進歩を遅らせている面が多いと思う。私達自身の意識を「一人で生きていける生活基盤を築く」という点に持っていかないと「男と女の関係性」がそのまま「専任と非常勤の関係性」にすりかわっただけ、のような感じがします。
◆設備:○○大学。1年間タイミングをはずすと座る場所がなく立って昼食時パンをかじる。生協や書店で非常勤にデスカウントがない。△△大学はデスカウント率が専任より低い。××女子大学:女子大の場合、こまるのはトイレ。職員トイレは男性用、女子教員は学生と同じ休みの10分で使用するわけだし、印刷をたのんだり、移動したり、学生の質問に答えたりしていたらトイレに並ぶ時間はない。テープレコーダーや辞書を持ち、どこのトイレに入ることもできない時などあの控え室の近く、回りに教室のない所を女子職員用にしてもらえないかと言ったら何の調査もなく1言でだめと言われた。そのまわりに男性用は3ヶ所あるのに。□□女子大:一応控え室の近くにトイレはあったが、職員用と書いてあるのに平気で学生が使う。学生用はその建物の反対の角 (歩いて1分もかからない場所) 2階以上にいっぱいあるのに事務の人は学生にそちらを使うようには決して言わない。非常勤は学生のじゃまをしてはいけないと思っているのと言いたいし、非常勤人数に対する設備が始めからないと思うことがある。差別:「非常勤はいつでもやめさせられるからやとっているのだ」「非常勤がそんなむつかしいことを教えてくれなくていい」「こんな科目は専任でなくていい、非常勤にやらせたい」「私達はあなたとちがってむつかしいことを教えているのですから」「非常勤にまかせると授業がいい加減でレベルがさがるから」「私が1, 2年できっちり教えたことをあなたが3年でめちゃめちゃにした」目の前の人間の人物も実力も正しく評価できないで、差別発言は平気。どうして学生を評価できるのでしょう。できないから点数だけで学生を判断することになるのでは。非常勤を人間と思っているのかなと言う発言は毎度のこと。でもこれも大学によるので皆ではない (一応表面は)。専任の非常勤について:その科目や分野の力量で他校を教えるのは分かるが単なるバイトで一般教養の語学をやるのはどうだろうか?おかしいのでは。定職がない人がそれで生きているのに+アルファーのために非常勤をやり学生とはうまくいってない。手ぬきetcのことなどもあるのでは?給与:専任のある人が単価が高いのはなぜ?経験をどれだけ積み研究しても非常勤は助手あつかい。どんな実力の差があるの?勤務時間:ブランクを作られるのはこまる。例えば、1,2,4,5など。雑用にも限度があることを分かってもらいたい。○○大学でのこと、月1,2限、1クラス90人、2クラス持っていた時、1限の前の印刷は大ラッシュで、私のように枚数が多いと嫌われる。授業後は他校にいかねばならないのでお昼を食べるのがやっとの状況。試験問題だけでも教務でやってもらえないかと学科長に言ったら「昼から他校に行くのは○○大学がたのんだことではないから、それを理由に教務にやってくれとたのむのはおかしい」と言われた。別の日に交通費を自分で出して印刷に行ったら、人数が少ない時はスーパーでやったらと変な対応。・・・現在は、4,5限になったのでずい分の時間を使って自分でやっている。15人以下のクラスの人と同じ単価の給与は納得できない。増コマする時は連絡をきっちりくれるが、増えると言って増えなかった場合など連絡はないことがふつう。+でも−でも変化のある時は決まった時点ではっきり言ってほしい。私もはでに直接文句は言わないからかもしれないけれど (文句を言えば嫌われるし、でもがまんにも限度がある) その他・教養語学はもとより、どの科目も他の科目と無関係の独立孤立したものではないはず。カリキュラムが変わった時など、明確な説明をした上でテキストはどのようにしてほしいとかを言ってほしい。全体像はつかめない。なぜこんなことになるのと思いながら、言われたままののロボットになってテキストを決めるとやっぱり授業はおもしろくない。特に1年生はほとんどが非常勤の科目を取っていることなどもあり、また誰が非常勤とか知らないので、目の前の先生に相談したりetc.ということになる。外部の人間が学内の事に頭をつっ込むなと言うよな態度を取ったり。また図書館やAV室の設備がどの程度授業に使えるか確かめようとすると批判されてると思って明確なことを言わなかったり「〜があれば」とか言うと「あなたは批判するのですか」と言ったり、一緒に教育にあたっているという態度がスタッフにも教育関係スタッフにもない。雑用も授業内容への要求も増す一方なのに、お手伝いあつかいはもうやめてほしい。そのため今のような一校2コマとかに制限するのは変える必要ありと思う。少なくとも複数日出校し、その大学の1部分にはっきりはまるべきだと思う。採用の際、きちんと評価判断をして、同じ時間制度での給与でも、もう少し教育の現場での地位をはっきりしてほしい。
◆1960年代に大学を卒業した女性の目からふりかえると、一生独身で仕事をつづけるか仕事をもたず家庭人になるか、このいずれかしか選択の道のなかった私達より更に上の世代の女性達の苦労の積み重ねが、女性の立場、働く条件を少しづつ改善してきたのをつくづく感じる。滞米生活の経験から画一的な物の考え方からもっと自由になり個々人の生き方が尊重されるような社会になればと思う。戦後日本は平等ということを言うあまり、努力、結果への評価まで無にしてしまう行きすぎがあった。いろいろな機会を広く平等に与えるための施策 (例えば奨学資金等) はもっとすべきだが個々人の努力は評価すべき。又、教育の機会も18才位で決めるだけでなく人生の途中でもやり直しのできるシステムを作るべき (大学入試についても)。働き方について、アンケート項目の[34.8]に書いてあるように男女皆で仕事を分け合い、男も女も仕事だけでなく家庭にももっとかかわる生き方ができる余裕を持ちたい。保育所を沢山作って女の人が働き易い環境をつくるという発想は子供の教育という面から必ずしも子供にとって幸せな状態ともいえない。子供にもしわよせや負担の小さい、男女にとっても働き易いそういう親の働き方ができる社会や家庭を望む。人生の諸時期に働き方を選んでゆける (出入りのできる)、融通性のある社会組織、そして、その融通性が社会の物の考え方にも柔軟性を与えるのに役立つと思う。
◆非常勤の給与はひどく安いと思います。
◆専任が非常勤を兼ねることが多すぎ、私のように非常勤でしか食べていけない人間がコマを減らされている。来年度もすでに3〜5コマ減ってしまう。「つきあい」だけでの採用はよしてもらいたい。たった1コマでも私たちには、生活がかかるほどの大問題なのである。また、研究者としての扱いを非常勤ではうけにくい。単なる語学教師にしか (便利屋程度にしか) 見られていないのはつらい。専任の方より研究業績をつんでいるにもかかわらず…。この世は不条理に満ちている。
◆非常勤を専任待遇にしようという希望もわかるが、一方で、今の非常勤という形態を残し、ちん金などより、もっと時間割などの「自由」 (flexibility) を尊重できる、待遇のpositionもある方が良いと思う。
◆非常勤講師の待遇改善の声が少しずつ出てきた。うれしいことです。しかし、非常勤講師にも二種類あると私は考えます。専任を希望する者と、そうでない者と。この違いによって待遇改善への思いに温度差もあるのではないか。私は前者です。専任になりたい。専任になってたくさん給料が欲しいし、最後はたくさんの退職金ももらいたい。こうした考えからすれば専任と非常勤で待遇に格差のあるのはやむをえないとなるでしょう。専任になりたくてなれない非常勤は自由競争の敗者といわれてもしようがない、ともいえる。非常勤の雇用確保というが、これを進めると、人事が固定し、これからのOD (オーバードクター) は新しく非常勤講師にすらなれない、ということにもなりかねない。非常勤講師にもある程度新陳代謝があるのはやむをえないでしょう。専任を希望している私にとってより切実なのは、競争しているはずのレースが公平でないかもしれないこと (学閥や縁故で採用がきめられている?)、そしてイス取りゲームのイスがだんだん減ってきていることです。これからの少子化の中で大学は採用を控えてきます。自分自身が自由競争 (?) の敗者となり、一生非常勤で終えてしまうのではないか、という強い不安の中に今います。私にとって専任教員はすでにイスに座っている人 (安住している人?) です。早くイスに座りたい!!
◆大学の腐敗とともに非常勤問題をマスコミにとりあげてもらっては。この際センセーショナルなやり方でも良いと思いますが。
◆私は阪神圏大学非常勤講師労働組合には加入しておりません。語学の教員はコマ数も多く、専任と殆んど同じ仕事をこなしておられるので組合員になられるのが当然だと思います。私の場合は1週1コマで非常勤の経験は、専任へのステップと考えていた位ですから、少し立場が異なるかもわかりません。非常勤の労働条件の低さの改善には、専任教員の協力が是非共、必要でしょう。専任教員の組合への働きかけが絶対、必要です。非常勤にも研究教育費が支給されれば、学生に共同研究の場を提供できるし、教育の場がもっと活性化すると思います。自己負担では限界があります。非常勤と専任との関係で問題となるのは、労働条件の格差はもちろんですが、学生との関係が重要だと思います。学生にとっては、教員の立場が専任か否かは関係がないのです。彼らにとって重要なことは、教員が信頼できるか否かだと思います。それだけに非常勤の地位を高めていきたいと切望しております。
◆現実に、大学教育において重要・必須の役割を果たす非常勤講師が、人並みの生活をするためには殺人的なスケジュールをこなさなければならない現行制度は非人間的と言わざるを得ない。授業単価は、実働時間当たりになおすと6〜8000円と、一見高く見えるが、長期休暇中の空き時間に対する補償や、シラバス策定・試験等に関連する雑務等を抜きにした数字で、言いかえれば「非常勤は夏休み・春休みはカスミを食え」「履修ガイドや試験の採点はただ働きせよ」と言っているに等しい。大学院での高等教育を経て、日々の授業のためにも自己研鑚を重ねる者が、大卒の会社員の年収と同等に稼ぐには、20代で週15コマ、30代で週20コマ (不可能である!) を教えなければならないとはどういうことか!本来の目的である研究をしようとすればするほど、そのために時間とお金がかかり、当然、衣食住は最低水準に落ちる。腰を落ち着けて研究に取り組めるのは、衣食住を親や配偶者に頼れる人しかありえないというのが現実である。非常勤講師に、せめて経済的自立が可能で、専任が享受するものの何割かの研究が可能な報酬を出すべきである。逆に、専任講師はその部分を保障されているのだから、専任が他校に非常勤出講する場合は単価を下げてもよいはずだ。
◆非常勤は使い捨てぞうきんではない。非常勤講師組合の御活動に対し、敬意を表します。
◆組合活動のお世話ありがとうございます。どうしても孤立しがちな非常勤講師のこうした組織ができたことは心強い思いです。研究費・社会保険・退職一時金、病休の問題など、専任の方と比較すると、確かにあまりにも差がありすぎます。ただ、このアンケートの内容を見ていると、確かにもっともな希望だとは思いますが、どちらかというと大手のまだ比較的余裕のある大学の非常勤の方々なのではないかと思ってしまいました。昨今の一部?大学のなり振り構わぬ経費削減策を見ていますととても言える状況ではないという気がしてしまいます。まずは雇用の確保とある程度の安定化?だからと言って何もいわなければ、状況は良くなるどころか悪くなっていくだろうというのもわかります。せっかくの活動に水をさすようなことを書いてしまってすみません。
◆教育の現場と社会 (企業) の接点が少なすぎる。社会人をもっと教育の現場に入れなければ大学は形だけのものになってしまう。そのためには社会人の能力を評価する構造をあらためなければ優秀な人材が教育に入ってこない。そのためには、大学側も企業とビジネスの連携をとり、営利事業化をも目指さなければならない。
◆研究や教育については、情報が少ないか、又は全然わからないことがあります。これからの大学は生き残りのためにも専任のみがということをいってられないと思います。非常勤の者も同じように各々の問題を考えていかないといけないと感じています。
1.2 定年後型非常勤の声
◆1. 交通費の支給に限度額があり、実費支給のなされないことは不当である。 (JRで80km、相当額3000円で打切り) 2. 年令70才で契約不可の限定なら、当初の年において、その旨の連絡をすべきであり、その年になってから急に通告された。3. 非常勤の賃金段階A, B, C, Dの内容とランクづけの根拠を本人に知らせるべきで、何を根拠にランクされたのか、全く納得のできない状況である。4. 専任教師が昼間のテレビ、ワイドショーに出演し (内容は映画俳優やタレントの離婚とか、結婚の話で、およそ学問と専門性とは縁遠いもの) ているのが見られるが、そのような時間があるのなら学内にあって、学生の指導とか、研究の時間にあてるべきで、一般市民から見れば納得できないであろう。
◆どこの学校でも非常勤講師室が狭い。教材を置く所が無いか少ない (狭い)。非常勤用の予算があると、気軽に教材、資料、図書、ビデオ等の請求がし易い。一教室、一講義当りの受講学生数を減少させて欲しい。 (段階的でも良い→100人以下→60人以下)。学生の基礎学力 (中・高で履修しておくべき学力) が低下していて大学本来の講義が進めにくい、時間不足。補修授業をしてもよいが、この分の講義料 (講師の収入)、単位としての扱いなどを検討する時期でしょうね。年に2回位、大学の教育方針等の会議へ参加希望。※定年後勤務者へ適した設問が少ないと思います。 (当然のことですが)
◆非常勤講師の待遇については、非常勤講師だけで生計を立てておられる先生方の報酬は、大幅に引き上げられるべきと主張します。反面、企業・団体等の幹部であり、本職の給料で十分できる人、または、上記元幹部で年金収入等の十分な人については、ボランティアと割り切り、交通費のほかは、ほとんど無報酬でよいのではないか、とも思います。 (注: 弁護士等でも無報酬でも大学の講師をしてよい、と思っている人がいる。) そこで私の提案は、現行のような非常勤講師を2種類に分け、非常勤講師という名の実質は本職と変わらない先生方については、待遇を抜本的に改善し (もしくは特定手続きを経て本職教授に身分変更)、一方、老後の生きがいとしてボランティア的に教育奉仕をしたい先生方については、ボランティアに徹していただく、というものです。後者については、ほとんど無報酬であることの代償として、たとえば「特任客員教授」等といった、名誉職的な呼称にすることも考えられます。
◆講師の場合は少なくとも一年 (or単位セメスター) 間は常勤的である。ILOの考え方が早急に適用されうるし、されるべきである。事務業職員、技術系、図書系、医療系職員についても常勤的非常勤と、どのような意味においても臨時的なアルバイターとを明確に区別し (中間的なあいまいなケースをつくらない)、それぞれにきちんとした待遇を確立することが、講師の待遇にも良影響を与えるであろう。この点で非常勤講師組合は常勤の職員の組合とも話し合う必要があろう。 (国立大学の場合しか知らず、私立大学の場合をよく知りませんので、的外れかも知れませんが) *国立大学では常勤的非常勤職員 (事務系、技術系、図書系、医学系) について、人権問題と言わざるを得ないケースが少なからずあります。
◆筆者の体験からすれば、40才までが研究の発展的な目途をたて、がんばる時期であり、研究への全力投球が求められる。大学人としてCoreを形成し、将来活動への胚芽を生み出す時期である。それが大学人としての一生を左右すると考えれば、研究時間の確保が不可欠と考えられる。そのためのKnow Howが問題である。一方からいえば、そのようなVisionを欠いては大学人といえる社会的意義は形成されない。非常勤講師といっても教育を通じて学習する意識があって一人前であろう。40才以降の学習は、それまでの蓄積に負うものが多い。その結果は講義への報酬へ反映されることも考えられるであろう。
◆非常勤講師の身分向上、将来の生活不安解消の為に、頑張って下さっていることに感謝します。運動が一層力を充実し、発展されることを祈ります。とりわけ退職後の生活保障の為に、共済年金に何らかの形で加入されるよう切望します。 (現行の国民年金加入では40年の掛け金で、65才以降毎月の受取り額は7万〜8万程度、とても生活が維持出来るものではありません。)
1.3 大学外常勤職のある非常勤講師の声
◆学生の立場からすれば、その教員が専任か非常勤かは問題にはならない。同じ質、レベルの教育が求められると思うが、中々思うように時間がとれない。授業の後、学生の質問等にもゆっくりこたえている時間的余裕のないことも多い。大学の教学理念に関わるような講義を非常勤にまかせてよいのか。本来なら専任が担当すべきではないかと矛盾した気持ちを感じながら担当している。もし、僕が大学の教学理念にそぐわない講義をしたら…。以上は、一例だが非常勤問題は、大学にとってはいかに責任ある教学、カリキュラムを学生に提供するかということが問われる問題だと思う。それから大講義になると、しかも複数あると、ゆっくり採点をしている余裕はない。また、給料も同じというのもなんか納得いきかねる。セメスター制の弊害を強く感じている。半期の12〜13回の授業ではなかなか、内容を消化できないし、レポートの提出期限なども短すぎて、あれでは学生にレポートを出しづらい。
◆基本的に非常勤講師は、専任教員の負担軽減の役割を担うものと考えております。但し、自分の専業への「しわよせ」が (時間的に、とくに) まいりますので、常にそこのところをどう微調整するかに悩んでおります。
◆非常勤講師組合について。いわゆる労働条件だけでなく、大学や教育のあり方を議論し、発言していける団体なのであればぜひとも参加したい。
◆私個人としましては大学非常勤に収入を依存してはいませんので、その点での不安はなく、また、私が今現在行っている大学でも待遇についてはさほど不満はありません。しかし、知人達の話からすると、特に英語の非常勤講師に対する扱いが変って来ていることは事実のようで、何の予告もなく持っている授業数が来年から減る、というような話を聞いています。大学教育の有り方が変るべき時代であることは大いに認め、また大学の英語教育については、今なされているような改革ではなく、学生達の学力の低下をまっすぐにとらえ、それに対して具体的な処置をとる方向に進んでほしいと、切に願っています。従いまして改革に伴って非常勤講師の担当授業数に変動が起こることもある程度は止むを得ないことかも知れませんが、それならそれで講師に対して納得出来るような説明をし、理解と協力を求めるという姿勢は必要でしょう。これは上記の大学だけではなく、すべての大学もそうあるべく努力してもらいたいと思います。全体的に大学は以前に比べ非常勤講師に対してやや態度が尊大になったような気がしています。日本の大学は非常勤講師なしでは授業運営、経営が困難であろうと思われます。リストラという世の風潮にのっかって、仕様のないことだという態度は許されません。特に英語の授業については、以前は急に教員数が足りなくなったから来てほしい、というような状況で講師に無理を頼むというようなことは多々あったはずです。そのことを忘れ、非常勤講師をただの使いすての便利な存在のように扱うことは人道上大きな問題があると言えるでしょう。尚、総会などに出かけたいのですが、大学以外の仕事があって、また、住んでいる所が遠いこともあり、なかなか出させてもらえません。しかし、こういった組合活動は大いにすべきであると考えています。今後の皆様の活動に期待すると共に、自分もできるだけ、声を挙げて行きたいと思います。
◆企業に勤めている人間が、毎週2時間近くかけ講義に出かける事は、準備する事も大変であるが、本来の仕事のやりくりも大変であった。しかし、講義をして自分の知識を整理できると共に、学生諸君と接することができ、その場で得られた印象、経験は企業一筋では得られないものであり、非常に有益であった。ただし、当初は毎週の講義が許されていたが、会社の経費節減が強まるとともに、短期集中講義に変えよとの会社からの要求が出、大学と折り合いがつかず、板ばさみとなった。結局、講座が消滅したのを期に、非常勤講師をやめたが、企業に講師を依頼する場合、事務局間の連絡を十分にして欲しい。
◆私は本業があり、そこでの知識・経験を非常勤講師として講義しています。現場や実務に密着していることが買われたのだと思います。文献主義的な専任教員では対応でないことを、学生に伝えたいと思いますし、学生も「勉強が身近になった」と喜んでくれます。しかし、「アカデミズム」の世界では、私のような講義は「低い」と評価されるのを感じています。それで良いのでしょうか。とくに私学は、少数の専任教員 (定年後の再雇用教員とそうでない教員) と多数の非常勤講師によって授業が運営されています。差別的な低賃金構造があると知らされましたが、私のような本業を抱えている者は別として、非常勤講師を専業とせざるをえない人々への生活保障は切実なものであると実感します。"就職浪人" を固定化するような仕組みを改善して、誰もが安心して働き、研究できるような仕組みを作っていかなければなりません。 "運良く" 専任教員となった方々は、劣悪な立場にある非常勤講師の方々の声を代弁する責任があると考えます。
◆本職、専任はまことにだらしない。本職、専任と比較すれば非常勤の賃金格差は7倍どころではない。本職、専任は本職、専任ゆえに安住しているのではないか。待遇問題もさりながら、本職、専任は大学危機をどう考えているのか。一度全国の国公私立大は本職、専任を全員解雇し、改めて採用すればどうか?私語、居眠りの学生を放置する本職、専任の責任を問いたい。非常勤は大変迷惑している。こういうことを律したあと、われわれ非常勤にアンケートを求めるべきだが、非常勤の立場を言うためにはアンケートに回答せざるを得ず、回答した次第。
◆小生は平成11年4月より非常勤講師として週1コマ1校で教えている者です。初めての経験ですので、非常勤講師の実態は全くといっていい程無知です。小生自身、経営する事務所を持っており、生活自体には困窮さについてはさほど感じておりませんけれども、仕事の時間に多くを割かねばならず、本を読んで研究する時間の少なさを痛感しているところです。指定テキスト・参考図書は学生に示しておりませんので、講義の準備には読書を含めて5時間はかかります。毎回 (B5) 4〜6頁のレジュメを作成していること、他に「補助資料」として適宜プリントを配るための選択、Newspaperからの切り抜きプリントの時間等に時間を割いています。読書による研究は空いた時間を充てていますが、これには限度というものがないため、充分な時間があるとの認識は薄いです。非常勤講師と通常の教員の所得の差は均等とはいえないまでの (教授会や学会やその他の学務の時間があるため)、全国的にもう少し非常勤を上げて、均衡を図るべきでしょう。
◆いつも組合のしごと、御苦労さまです。感謝しています。担当していますのが教職科目で、高校生の進路指導等の考え方や大学生自身の進路選択などについて講義していますので、職業、労働、教育について常に考察しています。私たち自身の非常勤講師の労働条件、賃金;社会保障等についても考えなければならないと痛感しています。組合でお役に立てることがあれば、協力していきたいと考えています。ヨーロッパでのパート教師組合の役員さんの話など一度聞いてみたいですね。運動のすすめ方や方向性が学べるかもしれません。私たちの組合は、私たちの力を中心に活動すべきですが、明るい展望を組合員にも示せると思います。ヨーロッパでの常識を日本でも作り出して行きたいと思います。まず、てはじめに、本組合は外国語の先生も多いので、ヨーロッパ諸国の日本大使館へその国のパート教師の実状をお尋ねしてもいいのではないでしょうか。
◆ドイツの例のように客員教授制とり入れて、月一度のゼミでよいとする。
◆非常勤講師歴4年間の経験から思いつくままに意見感想を列記すると。大方の私学において非常勤講師への依存率が高いにも拘らず、単価賃金はあまりにも低額で、他人にも言えない額である。講師側にも責任はあるが、学生との接点が殆んどなく、単に授業 (講義) をするだけの現状は改善すべきである。例えば、担当教科や専門分野についての質問会 (希望者のみ) の実施など。3〜4ヶ月に1回程度でよいから、担当教科の所属学部教員との交流会開催、又前記が難しい場合は、関連講師同志の交流会開催を希望する。
◆私自身が会社経営者の立場であるから言えるのですが、これからの大学の経営 (私学) は、子供の数の減少状況からみて、困難が予想されます。従って、固定的人件費を押える意味と、広く人材を求める意味で在野の人材…出来得るかぎり、生計の分は確保出来ている社会人を非常勤講師として登用されたら良いと思います。専任の教授・助教授は少ない目にしてと言うことになります。
1.4 大学専任教員の声
◆非常勤の窮状はよく理解できます。しかし、独立行政法人化の波の中で、専任も生き残りに必死です。知人でも大学倒産寸前の中でリストラの恐怖にさらされている人もいます。特に短大は大変です。したがって、一部にみられる専任はめぐまれた環境だから非常勤のことも考えようというのでは理解されにくいのではないでしょうか。阪神圏組合のパンフレットに「専任の平均年収は900万 (概算) 」とありましたが、これは都市部有名私大教授クラスではそうかもしれませんが、弱小大では専任といえどもこんなにありません。実感がちがいすぎます。これをみて不快に感じた人もいました。私もそうです。「専任と非常勤」ではなく「教育職のあり方」みたいに多様な人をとりこめるようにアピールした方がいいと思いました。
◆ともかくわが国の大学の研究環境は悪すぎる。研究のための機材は不足し、給与も悪い。とくに忙しすぎて研究を行う時間が足りない。海外の大学で長期の研究を行い帰国し、本年より日本の大学で教鞭を取り始めた私としては、将来に不安を感じる。
◆とりくみ感謝申し上げます。1.非常勤講師は、こういう貴重なアンケートであってもこれに実態を記入する時間、体力そのものが制約されてしまっている状況があるのではないでしょうか。アンケート調査の方法論的検討が必要のように思います。2.このような貴重なとりくみの中で、高等教育〜労働活動〜生活活動を人間の発達の可能性を育み、万人の発達を保障していく基本思想の形成とその共有が実現されていくことを願ってやみません。
◆これからの組合運動は従来よりもだんだん難しくなると思います。単なる生活実態に基づく要求実現運動では、経営側を動かせないからです。組合として要求を政策化するには、理論的根拠も大切ですから。
◆大学教員の評価は、大変微妙でむつかしいと思いますが、評価内容が、論文の業績中心に偏りすぎ、専門分野にこだわりすぎの様に重います。では〜と言われても具体的には思いつきませんが。学生のアンケート授業評価も、当の学生の様子を見ているとあてになりにくい。真剣に考えて答えてくれる人数はあまり多くもなさそうですし。研究者と教育者が全く分離してしまっている例を身近に見ていると、つくづく「評価」のむづかしさを思い知らされますが、どんな悪でも研究者として優秀と見なされれば強い、というのが実感です。
◆貴重な教育資源である非常勤の先生方をネットワーク化して、社会の高等教育要求に応えること、そのことを通して非常勤の先生方の生活向上を計ることもできるのではないか。そのためコンソーシアムの可能性を追求してみたらどうか。
◆少子化が極限まで進みつつあるのに、まさに雨後の竹の子の如く地方公立大や地方私立大が設立され、既存の大学と相俟って益々弱肉強食の学生争奪戦を激化させている。これによって確かに非常勤講師の専任化は進むかも知れず、誠にご同慶の至りには違いない。しかし、ライオン級大学に獲物の内臓、肉、骨まで食われて、禿鷲、ハイエナ、ジャッカル級の大学は早晩滅亡の運命を辿るのは明らかであり、失業した専任教員が新たな非常勤講師として従来の非常勤講師の職場を奪うべく輩出するのではなかろうか。そこでは非常勤同士の対決という全く地獄のような光景が目の当たりとなろう。ジャッカル級の大学に籍を置き、かつて16年の非常勤生活を体験したが、この事態を回避する妙案は未だに思い浮かばない。
◆非常勤の採用時に年限をはっきり伝えてもらいたい。いたずらに雇用継続期待感や不安を持つことのないようにして欲しい。大学側の事情で雇用を打ち切る場合には、早めに連絡が欲しいし、その事情説明も十分になされたい。専任を希望する者に対してそのための有効なシステムの構築があればよい。運でなく、せめて順番待ちくらいに改善が欲しい。
◆本務校を持たない非常勤の先生の場合、一般的に対大学との関係が非常に最初から対抗的な人が多い様に思う。そのことが必要以上に大学との関係を悪化させているのではないか。私自身も非常勤だけの生活経験も3年間あったが、その生活の大変さは分かるが、こういう現状ではわずらわしさを避けるために、本務校を持つ先生を非常勤として採用しようとする力が働くのではないか。非常勤歴の長い先生を採用すると、専任になっても非常勤と同じ気持で大学行政に力を入れない先生がいる。専任雑務に追われ研究時間がとれないくらいに働かされている。そこらあたりを非常勤の先生自身理解してくれないと、ますます専任と非常勤の壁は厚くなってしまうのではないか。
◆FD問題であるいは広く大学改革問題で、「教育」の改善がトップダウン式に叫ばれている実状に最大の問題を感じる。つまり、業績は「研究」のみといってよい。評価意識と評価体制をとったままで「教育」の改善を叫んでいるという問題がある。まず、教育業績の評価システムを作って、教育の質量の改善にとりくむべき。これは非常勤講師やTAの教育貢献を正当に評価する道を作ることに通じるだけでなく多数の常勤教員を真に「教育」に動機づける基本問題であると思う。これをやらなければ (もちろん、まず考えなければ) 教育に関わる改善・改革は、形式上のものとなり、文部省の大学当局の顔色だけみる研究者の教育態度は変わるはずがない (「研究業績」にのみ、動機づけるシステムが存在したままなのだから。)
◆最近の大学改革の現状は、教官数の削減につきる。専任の数を減らし、非常勤に移し、それとて従来のクラス数を減らして、1クラスの受講登録者数が300名にも及ぶことになっている。教育の質の低下がはなはだしい。
◆専任教員と非常勤教員の間の種々な事柄 (賃金、研究・教育条件、その他) の差をもっと近づけることが必要。
◆@企業を定年退職して専任教員となり、かたわら非常勤をしているので、考え方が多くの人と違うと思う。参考にならないかもしれないが、専任教員も記入せよということなので記入した。A本務校が完全セミスター制、60分1コマ (週2コマ) 制なので、コマ数についての記入は統計上は例外として扱ってほしい。大学の教員システムを根本的に変えるべきだという突飛な考えを持っている。@大学の専任教員数は教育運営に必要な人数だけにとどめ大幅に削減する。A大学教育は非常勤を主力に構成する。B非常勤教員のプール組織を複数設け、そこから教員を派遣する。待遇は能力によって、競争原理で決まるようにする。C研究に要する費用は別に考える。
◆非常勤講師の問題は専任教員の問題と同一の根源をもつ。日本の教育を全体としてとらえ、その中で改革すべき事がすなわち、非常勤講師問題の解決に結びつくであろう。教師に対する社会の尊敬の念を確認することからはじめてはどうか。
2 専任教員に伝えたいこと (自由記述)
2.1 専業非常勤講師の声
◆非常勤は立場的に弱く、意見が出しにくいという点に対する考慮がほしい。
◆来年度出講に関して、それを決定する人間や組織を明記し、連絡がとれるようにして欲しい。1月末になってようやくコマ数を知らせて来て、しかも減らされていたので、その理由などが知りたい場合、連絡のとりようがない。しかも数日後にテキスト要項原稿を提出せよと言うのは不誠実な対応ではないか。
◆1.非常勤の生活実態を知るべきです。2.各大学の年報 (紀要) を、非常勤にも開放すべきです。3.責任の所在を明確にしてほしい。 (次年度契約の場合)
◆全く接点がない。自分の講義内容について専任教員は何も把握していないと思うが、それでいいのか。全体の教育カリキュラムの中に自分の講義を位置付ける為の情報を与えて欲しい。
◆学生の置かれている状況や精神的状態についてもう少し非常勤との連絡を密にしてほしい。
◆とにかく非常勤に対する状況把握をして下さらない。非常勤の経済的、精神的不安、困窮についてもっと知ってもらいたい。中にはつけとどけ?を暗に要求される方もいて辛い。 (おけいこ事の世界ではないハズ!) 或いはこちらの要求は聞かず、御自分のグチばかりこぼされ困惑している。 (フェアなコミュニケートをしてもらいたい) (あと年に1度ほとんど意味のない非常勤との昼食会を懇談会と称して、一応ケアをしているコトにしてごまかすのはやめてもらいたい。) 意見箱をおいてもらいたい。
◆非常勤講師の現状を知って欲しい。非常勤講師の期間があった人は、そのことを忘れないで力になって欲しい。「雑務が忙しい」という口癖は辞めて欲しい。
◆若い自分にとても良くして下さっていると思います。私は現在のところ、この出逢いには恵まれているのでしょう。
◆大学によって、授業はあまりに任せきりで無連携、担当コマ数は上からのお仕着せで封建的だと感じることがある。非常勤と連絡をとりあうというシステムも、 (学校によっては) 姿勢も感じられない。
◆困ったことがある時専任教員に伝えると善処してくれるので、とてもありがたい。
◆もっと非常勤講師の立場に立って、ものごとを考えてほしい
◆苦しい非常勤の立場を理解し、支えてほしい。
◆口約束で決まってしまうので、非常に不安。もっときちっと書類をお願いしたい。
◆会う機会がありません。
◆専任教員から何も話を聞いたことはない大学もある (会ったことがないということ)。担当するクラスの目的や主旨が不明確なクラスがあってもほとんど指示がない。全体的に交流がほとんどなく意見を交換する場がない。
◆カリキュラムの変更や時間割のことなど、できるだけ早い時期にきちんと説明してほしい。授業担当科目の変更など、なぜそうなったのかをよくわかるように説明してもらえないと不安になる。以前行っていた大学でよくあったのは、単位の認定に際して、名前も聞いたことのない専任のおっさんが突然ごちゃごちゃと圧力をかけてくる、といったこと。単位を出さなければ (多分そこの大学の中では評価の低い) 別の授業に移ってもらう、と言われて辞めたこともありました。辞めると言ったとたんに他の専任の人達は気の毒そうな顔しながら手の平を返したように冷淡になりました。学生はますますつけ上がりました。その大学は近々つぶれそうです。専任教員って保身のこと以外頭にないんでしょうか?いつも何を考えているのか本当になぞです。
◆授業改善要望をくみ上げ、それに対する回答を公表するシステム作り
◆個々の非常勤と日常的なことでも、研究分野のことでも話し合ったり、互いの理解を深めようという気持ちのある専任にほとんど会ったことがない (友人関係にある人は別)。面識もないし、しっかり話をしたこともないのに、名前だけで判断されている。彼らにとっては、我々は道具、記号にすぎない。
◆契約の打診をしてくれない大学がある。来年度も同じだろうと考えているらしい。変更のあるときはこちらから、他の大学との関連上9月頃には連絡している。打診されて返事を出したコマ数より減っているときは、もっともっと速く連絡してほしい!
◆声をきいてほしい (テキスト選びetc)
◆(学校の教育その他の様子について) 具体的な状況について、丁寧に知らせてほしい。
◆限られた少ない時間内で、より効果的に、スムーズに、かつ何よりも学生の為になる様、授業が進められる様にと、非常勤同士の横のつながりを密にして、授業の内容、形態等について再三会議を行い、誠心誠意真剣に話し合っている。その要望が、専任の立場の為という理解し難い理由によってもみ消され、(「私が専任でいる間はそのままにしてほしい」と言われた事があった。) 学校に伝わらない。非常勤の者が多大な時間と労力を使った誠意が全く無になってしまった事が度々あった。専任の先生は、自分の事ではなく、何よりもまず学生の為、学校の為を念頭に置いて、物事を考えもっと積極的に行動して頂きたい。
◆比較的恵まれた時期に比較的 (あるいはとても) 楽に専任になられた先生方の中には、非常勤生活とかの大変さを知らずに専任になったために、非常勤のことを全く理解しない (できない)、知ろうともしないという人も大勢いるようで (私自身も理解の薄い先生にあたったことがある)、また大学外の社会の人たちのことも、かなりの年になってもわからない人がいて困る。(社会の人たちには非常勤の生活よりもっとよくない人が一杯一杯いる)。大学や日本の社会が大変に貧しく困難な問題をかかえた時期の先生 (これも全員ではないが) の方が、それ以後の先生方より学ぶ点が (学力も含めて?) 多いような気がする。
◆2校のうち1校は授業内容、学生のこと相互に意見交換・相談して進めている。教材の入手なども要望できるし1コマ当たりの学生数も可能な限り調整してもらう。上のことは非常勤がスムースに授業をすすめるのに不可欠。1校は、話しはもちかけやすいが一般教養と専門科目に対する考え方が教養軽視。非常勤は一般教養にまわされやすく、授業のやりにくさ (人数の多さ、雑談など) が伝わりにくい。
◆もっと非常勤講師とのコンタクトをとるべき。年1回の非常勤講師との懇談会は少なすぎる。最低3回は連絡会的なものが必要。
◆自分がやりたくない負担の大きい講義科目や、コンピューター教室の授業を次々に押しつけるのはやめてほしい。共通授業の試験問題を、たまには自分で作ってほしい。ロクな給料もでない非常勤を弱い立場につけこんで苛酷にこきつかってきたことを反省してほしい。ボーナスやら研究費、サバティカルなどの自慢をして非常勤を見下すのをやめてほしい。人間として最低である。
◆大学のシステムとかに関わる問題はとにかく、専任教員と非常勤の仕事が重なる部分は双方とも一緒に考え、意見の充分な交換ができたらいいと思う。
◆ (1) 専任教員各自は、学部や大学組織の一員であるとしても、自分の意見を表明して欲しい。例えば、非常勤が大量に解雇されるとき反対ならば反対と表明してくれれば、大変救われる。ユダヤ人を大量に収容所に送ったのは組織の命令を忠実に実行しただけだというアイヒマンが有罪とされたのと同様、組織で決めたことをやるのなら個人に責任はないということにはならない。やはり責任はあるのだから組織の決定とは違う意見の人はそれを表明すべきだ。公務員にあっても、公務員の仕事をすることと市民の自由を行使して自分の意見を述べ、政治活動をしてもよい。ところが自分は組織の一員だから自分の意見は抑えるのが大人なんだというような誤った感覚が支配的だった。これを打ち破って欲しい。非常勤講師は立場が弱いし、気も弱い、そういう人に勇気を与えて欲しい。身の回りの非常勤講師に対して「あなたはどうしてこんなひどい扱いに黙っているんですか?行動しなければいけないでしょう」と怒って欲しい。3年でやめさせられていく契約職員に「どうして同様な仕事をしているのに3年でやめさせられて平気なのですか?」と問いかけて欲しい。(2) 中欧・北欧の社会システムにも目を向けて欲しい。日本ではパート、女性、非常勤などがとてもひどい条件で働いていますが、それを見て「仕方がない」というところで停まってしまわないで下さい。北欧社会を見れば日本の年功賃金制が異様なものであること、他にもやりようがあることが分かってくると思います。狭い専攻の範囲に閉じこもらないで社会については視野を広く取って欲しい。パートや非常勤がひどい条件で働いていることは、実は正社員の過重・長時間労働や育児・教育・女性の人生などの歪みや苦しみと同じ根をもっていることに気付いて欲しい。(3) ぼんやりしていると自分の一生が安泰に済めばよいという程度の意識しかなくなると思います。長い時間の射程をとって、人間らしい感性を取り戻して非常勤講師問題も考えて欲しい。中高年の年功賃金を崩すことも考えて欲しい。「非常勤講師問題?ふん、専任の労働条件の切り下げがあるのにそれどころじゃないだろ」というふうに、この問題に、はなもひっ掛けない人もいる。現在日本の正規教職員に適用されている年功賃金制は容易に変えられないように見えるし、非正規教職員の労働条件を上げれば、50歳過ぎの年功賃金の切り下げを認めざるを得ないように思われるのでしょう。それに自分が停年まで安泰だということによっても感性を鈍感にされているのではないでしょうか。自分の生きている間だけのことを考えるのをやめましょう。自分の家族のことしか考えないのをやめましょう。若年者や女性・パートの労働条件が良くなければ男性世帯主の中高年正社員も社会全体として収入が減ってもよいことになる。現在でも女性が多数働いているし、将来も増えて行くことを考えれば「家族賃金」にも疑問が持たれる。職場の公平のためには1000万円もらっている正規教職員が900万円になったっていいじゃないかと思えないだろうか。
◆自分の教育方法を非常勤に無理やり執行しないように。
◆言っても無駄。専任になると人が変わり、非常勤を見下すようになる。苦労してないので非常勤は能力がないのに文句ばかり言っているように写るよう。
◆使用教科書の出版社指定をゆるめてほしい、試験問題提出は期限が早すぎる。
◆非常勤の立場を、それを体験していながら理解しようとしていない。専任自身、勉強不足。(学問的にも大学運営もに) である。
◆同じ職場で働く同僚の意識をもってほしい!特権意識が強く、非常勤を見下している。それでいて時間割や、部屋割り (レッスン室により、広さ、冷暖房、ピアノの良悪)、学生の割り振りを、専任の都合の良いように決定して、残りの時間・残りの部屋・残りの学生を非常勤に持たせる。授業持ちコマも専任は5コマ、非常勤が10コマといった状況が、10年以上続いてきた。
◆私達は専任に使われる一人前でない見習いではありません。自分の弟子のようにあつかわないで下さい。 (学校差はありますが)。また、専任の授業準備を助ける助手や資料提供者でもありません。私のアイデアや資料を専任に提供するのが当然と思わないで下さい。私から取っても,私がお願いしても一度も資料を貸して下さることもないのですから。Giveとtakeは平等なら分かりますが、私達は専任に使える召使いではないと思います。私の方がその分野の専門で経験も研究歴もあるのにそれを無視して専任だというだけで専門分野でないところを教えられるのはどうして?これは文部省の問題かもしれませんが。
◆自分が個人で非常勤を雇っているような考え方をしないで欲しい。大学が雇っているのだし、自分達も大学に雇われているのだから。 (専任教員の奥さんに道で出合った時「ウチへ来てくれているんですってね」といわれて不快だった。)
◆体育のための設備、道具がどれだけそろっているかについて、着任時、ガイダンスしてほしかった。設備、道具があまりにも少ない上、何があるか分からないとなると、自宅にいる時に、授業計画を練る事ができません。
◆週2回の語学の授業では、1回は常勤の教師、もう1回は非常勤の教師でリレー授業となることが多い。遠方から出校することの多い非常勤のためのシステムかも知れないが、常勤との連絡に時間と手間がかかり、さらに学生も混乱することが多い (文法用語−和訳−がちがう、など) 無理なやり方だと思う。
◆再履修などのクラスや初級クラス以外のコマも担当させていただきたい。
◆"使ってやる" といった意識を露骨に示す専任教員が多くいます。専任との懇談会を開いてコミュニケーションを計っている大学とそうでない大学があるのも、問題です。
◆非常勤でありながら、授業日の殆どは学生指導をしている状況です。そのこと自体は私の勉強にもなるのですが、専任になれる見通しのないまま、ストレスがたまっていきます。
◆1つの大学では、共通テストやアンケートの結果から良い関係。もう1つの大学では同じ科目を担当している無能な専任教員が必要な打ちあわせをさけている。今1つの大学は相互無関係。
◆非常勤兼担教員と非常勤のみの教員を生活、研究面で峻別して欲しい。
◆専任教員であっても非常勤であっても学生にとっては教師という立場は同じであることを認識してほしい。
◆テキストが統一である場合、教材も含めたテキスト教材研究会を開いてほしい、テキストの表記が可、不可、適切か等検討する必要がある。同じ教育に責任をもつものとして、対等・平等の立場で討議する必要あり。
2.2 定年後型非常勤講師の声
◆評価方法 (出欠レポート等) について打合せたい。難聴の学生の有無について事前の連絡をもらいたい。
◆1.次年度講義計画についての打合せを事前にもってもらいたい。2.教職課程担当者の連絡協議の場をもってもらいたいこと。
2.3 大学外常勤職のある非常勤講師の声
◆漢字の書けない学生、授業中の携帯電話、授業中に食事を始める学生などマナーの悪い学生が一部大学で目立ちます。当然注意をくりかえすことで少しずつよくなっていきますが「他の先生は怒らない」と言われ驚くばかりです。すべての大学がとか、すべての大学生がというわけではありませんが、やはり専任教員を中心として「教育」を見直していく必要があるのではないでしょうか?「昔の学生は」式の説教や「ダメな学生は単位をおとしてしまえばおしまい」式のやり方を見直してほしいです。
◆こちらの希望にいろいろと配慮頂いて助かっている。
◆全体のカリキュラム、体系の中に、担当科目がどう位置づけられているか、定期的に情報交換しながら進めてほしい。
◆専任であるにもかかわらず、研究、教育に対する姿勢が悪い先生方が多い。
◆学生の学力低下が著しい中でこの点をもっと真剣に、重点を置いて考え、ただ時代に流され、或いは学生集めのカリキュラム作成を止めてもらいたい。小手先のことではなく学生に理解させ、身につけさせることこそが、授業のすべてであると思う。
◆社会通念では考えられないことがまかり通っていることがある。研究業績のみの教員採用にかたよりすぎ大学教育という、教育者としての資質も問われてよいと考える。
◆担当教科が大学の中でどのような位置づけにあるのかよくわからなかった。非常勤講師と大学教員との懇談が開講前に必要と思う。
◆講義、演習内容について、重なる部分などあるのでないか、協議できる場がほしい。
2.4 大学専任教員の声
◆もっと扱い易い教材を採用してほしい。
◆シラバス、授業科目一覧などの教務資料が配達されなかったことがあった。教室のAV設備の使用方法の説明がない。せまい非常勤講師控室。
◆非常勤の視点から、大学のあり方に問題があるように感じられる際、専任教員はこれを素直に聞く度量が欲しい。
◆何の目的で当該非常勤授業が開設されているのかきちんと説明してほしい。
◆語学の教科書選定に際し、非常勤講師とも相談して欲しい。選ばれた教科書と当該学生の能力に常に差があり過ぎ、ミス・マッチと言う外ない。何処の大学にも専任教員の間に自分達の学生への買い被りがあるのは何故だろう?
◆はじめに、何年間その講義が行われるのか、大体の目安を知らせておいてほしい。突然なくなる場合があると聞いている。
◆非常勤との懇談が無くなったのと、出勤日に出会える回数 (時間) が少ないのでコミニケーションがとれない。職員 (=助手) とは話す機会少しある。
3. 大学事務当局との関係、連携の状況について具体的記述
3.1専業非常勤講師の声
◆事務局の方々は大変頑張っておられると思います。
◆大学の学部編成がどう動いているのか、セメスター制にどのように移行しようとしているのか、スポーツ推選の学生の評価をどうするのか、全体的な話が何もない。毎年1回以上、非常勤に状況を伝える会議をもって欲しい。
◆最近人手不足なのか、再試、再レポートをいやがり、再レポートを課したいなら、学生に自分で連絡してください、という大学が増えた。大学の方針として間違っているのではないか。学生の学力をあげるためのバックアップをするのが大学事務の仕事の筈。
◆翌年度のコマ数について、休み中に出向いてまで確認をしたのに、いざ依頼書が来てみると、コマ数が違っていた。すぐにクレームをつけたが、「教授会で決まったことだからその通りにしてほしい」で押し切られてしまった。せめてコンピュータ化を進めて、最初から間違いなく応対できるようにしてほしい。
◆追試の監督・採点・評価等に拘束されて、海外研修の日程を自由に組めない。
◆年少なので小バカにされる (あとまわしにされたり、ぞんざいな扱いをうける) →学生みたいな扱いをうけたこともあり、くやしい思いをした。教室その他の交渉でも一番手を抜かれる。ゴシップのネタにされたりした。
◆機器設備のある教室の配当希望などは聞いてもらえている。困ったことは何でも相談できるので大変お世話になっている。
◆控え室の方が非常に失礼な大学がある。
◆事務連絡が遅い。非常勤校では週に1度しかメールボックスを見ないにも拘わらず、何かの連絡をほんの数月前に行うため、場合によってはその当月に初めて知るということにもなる。
◆非常勤、若輩ということで名前もおぼえてもらえない。事務がおろそか。給与明細がレターボックス (当然鍵などない) につっこまれていて、郵送されない (○○大学)、大学の日程が直前に提示されることもある (これも○○大学)。
◆大学内での専任教員と事務局との連絡がうまくいっていないところもあった。
◆ある大学では、定期試験の問題を提出する際に、クラスに4回生の学生がいれば「再試」の問題も同時に提出しなければならないが、その4回生の学生が全く授業に出席しておらず定期試験を受ける資格がないにもかかわらず、形式的に「再試」問題を提出しなければならない。
◆現在行っているところは3校とも親切で感じもよい。ただ、どこも4月、5月は学生の名簿がなく、とても授業がやりづらいので、仮名簿でももらえれば、と思う。あと身分証明書を出してほしい。以前行っていた大学で、住所やр学生に公表しているところが多くあった。しかもこちらは公表されていることを知らなかったし、公表してよいかどうかたずねられもしなかった。これっていいのでしょうか?公表しないよう要請すると「学生にも知る権利がありますから」と答えた大学もありました。
◆支障はないが、ずい分えらそうな事務の人間。いんぎん無礼な人間はたくさんいる。
◆初めて勤務する者については、試験時、契約打診のことなど、その学校のことがわからないので、説明が必要である。 (問題の作成のしかた、勤務希望日の決定のしかたなども) (暖房、冷房の仕方など、施設設備の使用についても)
◆長期の非常勤生活のイライラが背景にあって、事務の方に大迷惑をかけてしまったことがあった。この学校の事務の人たちについて言えば、何でもきっちりとやって下さり、やさしく応対して下さる方が多く、本当に申しわけなかった。もう一校の事務の方も良い方が多いが、おそらく現に学校に対して、あるいは自分の待遇に対して不満をもっている方がいるように思う (私の年のせいかもしれない)。ここの学校はミスも結構あるが、私もよくミスするのであまりキツく文句を言わない方がよいのかもしれない。
◆一校は小規模な短大でもあり、印刷機が教員にも使える。講義当日でも教材が作れるので助かる。一校は事務に頼む。教材原稿を早めに提出しなければならない。週一回しか出講しないので早めに教材の準備をしなくてはならない。新聞記事など教材に使える!と思っても出講当日に枚数の多い教材の場合無理を言いにくいことがある。
◆いんぎん無礼な対応が多く、かんじが悪い。
◆あるLL教室の事務室にものを置くスペースがとぼしく、小さいボックス型の荷物入れを幾つも使ったら、ひとつの授業に対して1個と割り当てられました。ビデオカセット・フロッピーなどメディアを提供してくれるのが当たり前だと思っていたら、事務職員のひとは空のビデオやカセット・MDを自分で用意して持ってきて下さいと言われた。こういうふうに大学の設備の不備、システムの不備がトラブルの元だから改善とルールの明確化が必要だと思う。
◆授業用のコピー依頼がどうしても、1週間前に間に合わない時、頼めば当日コピーしてもらえるものの厳しい感がある。
◆出講大学の中では事務職員の非常勤に接する態度に横柄な要素がみられる。
◆授業用のコピー、印刷機を自由に使わせてもらいたい。
◆却って、事務員は専任を嫌い、非常勤に好意的な面がある。が、「自分たちで何もしてあげれない」と同情を示す。
◆事務員が非常勤を自分の支配下におこうとし…を守ってるかなど (出欠の取り方や学生のあつかい成績の出し方など) をチェック指導しようとする。学生の言い分だけを信じ文句を言って来る。三者一緒の話し会いならわかるが、私をはぶいて授業内の問題児を教務員が指導しようとする。当然学生は自分勝手なことを言い、その内容を担当者の私にたしかめもしないで「先生がまちがってる」などと学生に言ってしまう。成績の書きなおし (卒業さすため) を暗に強制する。実際の授業のやり方を確かめることなく、単位が取りやすいなどと学生に情報を流す。
◆○○大でバイクの駐輪に任意保険を義務づけるのはやめてほしい (義務づけるならお金をだして!!) 2万円なんて金ないよ。
◆何となく冷たい視線を感じるところもある。
◆不親切な扱いをうけることがある。
◆図書館利用について…近年セメスター制で半期の講義が増えていますが、その場合、講義をしていない半期の間、我々非常勤はどういう身分なのでしょう?たしかに雇用の契約は半期だけですが、残りの半期は図書館等も利用できないのか?○×大学非常勤講師と名乗ってはいけないのか?現に私はある大学で講義をしていない半期に図書館の利用ができませんでした。図書館の事務員にことわられました。屈辱的でした。改善していただきたい。
◆大学に必要な書類の切手代を当方が負担させられる。抗議をしても改まらず、いやがらせに宅急便の着払いしている。国立大学のお役所体質は変わらない。
◆殆んど接触がないです。
3.2 定年後型非常勤講師の声
◆長欠学生の理由が教務、学生課では把握していないので対応できない。
◆専任の時から関係は極めて良好であった。
◆キャンパスのどこに何があるか、当初全くわからなかった (専任の先生も、よくわからなかったらしいが)。出欠勤の印の押し方さえも (昨年と今年度での変更も) 講義室も自分で歩いて探した。プリントのカードの使い方 (どこで、どうやってカードを得るか) は未だに知らない。
◆1.事務用品の備えがないものがある。2.コピー機使用の手続を簡略なものにしてもらいたい。3.諸事務担当者が判然としないことが多い。座席の記名もなく、だれに問うかわからないことが多い。
◆学生との協同研究に対する理解の不足。研究活動についての制約。学術の未来発展に対する無理解。
3.3 大学外常勤職のある非常勤講師の声
◆大学によっても差がかなりありますが、はじめて講義のため出校した際の扱いで大体わかります。行っても何も説明されず、こちらがたずねてもほとんどこたえのない所は試験の依頼その他でも横へいで失礼な対応がつづき、とても不愉快な思いをします。逆にはじめての出校日にきちんと学内の様子等を説明されている所はその後の対応もていねいです。有名な大学ほど横へいなのは気のせいでしょうか?
◆事務の方々が忙しそうで、あまりゆっくり相談できるような雰囲気にない学部もある。
◆親切に対応してくれ良かった。

3.4 大学専任教員の声
◆大人数講義において、受講者が座れないような教室を指定しておき、連休明けには減りますなどと言って教室の変更をしない (○×大学)。教務担当教員の怠慢が学生サービスの視点から時間割が作られていない。アリバイ的非常勤開講の典型である。
◆ワープロ、インターネット、メールなどを使いたい。非常勤用の機器設備を希望。
◆旧本務校の名誉教授として親切にしてくれます。

「専業非常勤講師」
=「大学非常勤のみの人」大学での非常勤講師だけを仕事としている人
+「予備校等兼職」大学非常勤以外に、予備校、専門学校、高校、塾等で非常勤の仕事を持っている人

「定年後型」
= 大学等を定年退職した後に、大学での非常勤講師をやっている人

「常勤職のある人」
=「大学専任」大学での専任教員をしていて、大学での非常勤講師もやっている人
+「大学外常勤」大学以外での常勤の仕事 (ジャーナリスト・弁護士等) があり、大学での非常勤講師もやっている人